時には自分の話を――5月病予防週間

Alcyone2006-05-06

もう黄金週間も終わりですね。仕事での一週間とは、明らかに違う時間の流れ方です(^^;; 時間のあるうちに、ちょっと己自身の姿勢を見直してみようと考えてみました。いつもの日記とは趣向が違うので、検索で情報を求めてきた方は、読み飛ばすことをお勧めします(?)


最近、「光の中でも闇を忘れず、闇の中でも光を忘れず」という、どこかで聞いたフレーズを頓に思い出します。というのも、自分自身、ここ半年間ほど「闇」の中で過ごして来ているからなのですが。闇の前は「光」の時期でした。今となっては、光の記憶が余計に自分を苦しめます。友人に相談すると「忘れたほうがいい。時間が解決してくれる。」とアドバイスしてくれます。もちろん、それが一番自然な解法であることは重々承知しているつもりですが、それでも自身に何かが引っかかります。


そこで連想されてくるのが「○○デビュー」という単語。冴えない高校時代を過ごした進学校の生徒が、大学に入るなり活発なサークル活動やら何やらで一気にキャラクターが変わるという、あのデビューです。一見、関係なさげですが、このデビューという行為は、自分自身の冴えないと思う過去を一度捨て去る行為です。一種の自己啓発とも言えるかもしれません。過去を忘れ去ることで、新しい自分に生まれ変わるための。


自分でも理由は分かってなかったのですが、昔からこの用法でのデビューという言葉がとても嫌いでした。ただ、最近もう一度良く考えてみると、少しだけその理由がわかってきたような気がします。人生において、本当は出来ないはずのリセットボタンを押すような行為。過去に起こった出来事、過去の友人、思い出、全てを無かった事にしつつ、新しい自分を刷り込もうとする自己暗示。かつての人との繋がり、ひいては過去の自分自身すらも否定して前に進もうとするそのやり方に対して、嫌悪感を禁じえなかったのだろう、と。


更に思い返すと、光の時代の前は闇でした(相対的なので、ある意味当たり前ですが)。光の時期の途中まで、その闇を引きずっていた事を思い出します。が、いつしかその闇の存在そのものを忘れてしまっていた自分に気がつきました。知らず知らずのうちに、自分でも分からない形で過去を忘れ、「デビュー」してしまっていたようです。光の中で、光しか見ようとしないその姿勢は、脆いものでした。見ていない所に出来ていた綻びに足をすくわれ、あっさりと光は消えました。


逆に、闇の今はどうでしょうか。一時期、この世には救いも何も無いのだ、といかにも思春期にありがちな感覚に陥ったこともありました(もう思春期はとっくに過ぎてます。念のため)。しかし、闇の今こそ光を忘れてはいけない。今までの人との繋がりや、出来事があったからこそ今の自分がある。1日2日で、ぱっと新しく生まれ変われる程度の薄い存在ではない。都合の悪い過去を忘れて新しい自分になるよりも、そうやって己の歴史を再認識するほうが、強くなれるのではないか、と。


もちろん、新しい未来への期待はあるし、周りの変化に対して、自分も柔軟に変わっていかなければならないと思います。しかし、その中で自分が今までこうして生きてきた事を否定しては駄目なのだな、という当たり前のことを最近自覚しつつあります。幸か不幸か、久々に会った知人にも、「変わっていない」と連発されます。それが、良い意味での変わってなさでいられるように、これからも己のままで生きていきたいものです。



#なんかしたり顔で語っているっぽい話ですが、当たり前のことかもしれませんね。
#物忘れが激しい自分に対して、備忘録としてあえて書いておこうと思います。