決して戻れない時間――友人の訃報を聞いて

先日、高校時代からの友人の葬儀に出席してきました。突然の訃報で、実感する間も無く、今に至ります。ありきたりな表現ではとても表しきれないのですが、彼はとてもいい友人でした。他の人には無い独特のセンスを持ちつつ、人柄はあくまで優しく思いやりがある。自分もかくありたいと思えるような人物で、これからもずっと付き合いが続いていくだろうと思っていた矢先の出来事でした。


と言うのも、MSNメッセンジャーの彼のアカウントをつい1ヶ月ちょっと前位に知って、これから色々と面白い話が出来るだろうなと思っていたのです。最後に直に会ったのは、1年半以上も前のことになるのですが、携帯電話の番号も知っているし、メッセンジャーのアカウントも分かっている。たまにオンラインでいるようだから、「いつか」話しかけよう。そして「いつか」暇な時に会いに行って又遊ぼう。そう思っていたのです。


そんな「いつか」が来ること無く、彼は小手先の道具では到底やり取りできない位、遠い所へ行ってしまいました。それでも、未だにその失った実感を持つことが出来ません。今、オフラインになっている彼のアカウントが、ふっとサインインして入ってくるような気さえするのです。二度とそんなことは有り得ないのに。


今あるコミュニケーションツールは、あくまでやり取りに必要とする時間を縮めてくれるだけで、決してこれまで辿ってきた時間を巻き戻してくれるものではありません。が、己の感覚の中で、いつの間にか両者が混同されてしまっているようです。一期一会という言葉の意味は、時代は変わっても全く変わらずにあるはずなのに、過ぎていく「一期」に対して、鈍くなってしまっている。そんな自分に対して、少し寒気を覚えます。


いつか、もう取り返しのつきようが無い事実を改めて自覚して、辛い思いをする事になるだろうと思います。けれども、その辛さこそが、今を大事に生きるために必要な痛みなのではないか、とも思います。
今はただ、あまりに若くしてこの世を去ってしまった、彼の冥福を祈るばかりです。合掌。